マジックレディ号 Captain Kurihara
ニュージーランド~プエルトガレラ迄
ヒューマンエコの社長が43フィートのスループをニュージーランドで探し購入。
20 年 月から回航開始
ニュージーランド南島 北端ピクトンヨットハーバー 出航 9月のNZは雪がパラつき桟橋は凍っていた。クルーは青木義一、世界一周した事もあるドイツ人バートン
フィジー島 世界のヨットが集まっているブダマリーナ マロロ島 マスケットコブ
バートン下船 オーナー(宇住博士 乗船)
ツバル共和国 世界で一番最初に沈むといわれている島国 国土の一番狭い所で太平洋とリーフの間の道路幅が10メートルくらい。子供たちは歌を歌って明るく幸せそうであったが青年たちの心は荒廃していた。自分たちの国土が無くなるのだ から無理もない。
文明の犠牲者たち!オーナー下船、横澤乗船
タラワ(キリバツ) 日本軍が玉砕した島でもある 合掌!
コスラエ(マリアナ共和国)ポツンと浮かんだ孤島である。
ポナペ(ポンペイ マリアナ共和国)ここでクルーが5名乗船 有名な遺跡ナンマタールがある
トラック(マリアナ連邦共和国 チュック)強度の船酔いのため一人下船 ここは大日本帝国連合艦隊の集積地であった事で有名 島には日本名がまだ残っている。
グアム アプラ港 マリアナヨットクラブに繋留 台風除けの為台風避難港に移動
そこで巨大台風に巻き込まれる。30隻くらいあったヨットうち半分が沈んだ。 ここは泊地としては良くないのでフィリピンにいく事を決める
プエルトガレラ ヨットクラブ(フィリピン ミンドロ島)
20 年 月 12日間の航海
日 本人2人(熱気球野郎の伊藤氏)グアム島人2名で回航 フィリピン多島海に入り
エンジンインジェクションポンプ完全に壊れ修理不能 2日完全に帆走だけで 月 日ルソン島バタンガス入港 修理後 ミンドロ島プエルトがレラ ヨットクラブに繋留 その近海でセーリングを楽しむ
20 年 月 タイ国 プーケットに回航開始
日本人3名 栗原 伊藤(熱気球野郎)青木義一、荒木(カヌー野郎)フィリピン人1名 途中 ボルネオ島クチン寄港 シンガポール沖通過 マレーシア ランカウイヨットクラブ寄港
大トカゲの沢山いる島を経て
プーケット(タイ国)
1年間 プーケット、ピピ島(スマトラ沖地震の津波で島民の約8割1800名が犠牲となった。黙祷!
周辺をセーリング 2009年のキングスカップレースに出場 クルージングクラスで第2位になる。この艇の船形は美しくセイルがボロボロなのによく走った。このレースでメインセイル、ゼノアセイル完全に破損 おかげで新調することになった
1年後 プーケット発
マレーシア ポートディクソン ボルネオ島 コタキナバル寄港 東南アジア一 高い標高4100メートル キナバル山登頂 (2日間で登頂したのでグロッキー)
20 年 月 プエルトガレラ帰港
プエルトガレラ周辺のクルージング
11月から5月ぐらい迄はイースタリーの強い風が高い確率で吹き、セーリングには最適 ベルデ島、小野田さんで有名なルバング島、ノースパラワン ブスアンガ諸島には沢山の美しい熱帯の島々、珊瑚礁等が点在し何度セーリング、ダイヴィングしても飽きない
現在 Magic Ladyは 12万USドルで売りに出されている
マジックレディの航跡